東京大学農学部創立125周年記念農学部図書館展示企画
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田中節三郎君未定稿
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『田中節三郎君未定稿』
作物論1 總論
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『田中節三郎君未定稿』
 田中節三郎、旧姓後藤節三郎、は慶応元(1865)年越後国北蒲原郡にて生まれ、15年17歳で駒場農学校普通農学科を卒業、18年同校農学本科卒業、続いて同校研究科に入り、1年間農芸化学分析を学んだ後19年に同校の助教となった。その間、18年には明治初期の農政・農学の第一人者であった田中芳男と養子縁組をした。農商務省に6年間勤務した後、25年には農科大学助教授となり、28年には作物学講座(現在の東京大学大学院農学生命科学研究科作物学研究室)の講座分担となったが、これは実質的に作物学講座の開始であり、彼は本講座の始祖であった。田中節三郎は、明治36年に弱冠36歳の若さで惜しくも逝去したが、農商務省および農科大学勤務の間の研究、実地体験を集約して、『栽培各論』を著作し、作物学の体系化に大きな貢献をした。特にイネの起源、分類、伝播に関しては、過去の文献の精密な分析および新たな分類基準の提案においてその精細さについては内外に例がないものであった。また、農事改良に関しても堆厩肥の製法改良、良質牧草供与、二毛作による乾土効果、針葉樹枝条利用の暗渠排水あるいは種子消毒などその着眼点は今日にも通じ、非常に正確なものであった。工芸作物、熱帯作物にも通じ、さらにアメリカやヨーロッパ農業の視察を通して広い視野を持ち、我が国の農業に対して的確な判断を下して改良に取り組んだ。明治34年の論文において既に我が国の食糧供給と作物生産の関係を欧米と比較し、自給を目指した生産改善について言及している。ここでは5つの対策、つまり、1.米作の改善、2.輸入食品に対する保護関税、3.水産業の発達育成、4.牧畜の堅実な奨励、5.開拓地植民の要請が挙げられ、特に米作においては国家的治水から耕地整理に至るまで集団的実施を要することを指摘している。これらの食糧問題に対する指摘は平成の今日にも通用するものである。
 『田中節三郎君未定稿』は田中節三郎氏が、農科大学において学生に講義を行った際にしたためた講義ノートと判断され、作物論1〜20巻の全20巻よりなっている。1巻が総論であり、他の各巻は各論となっており、稲(欠落)、大麦、小麦、雑穀から牧草、煙草、繊維、糖料などよりなっている。和紙に毛筆手書きされたものであり、部分的に朱筆で訂正、追加された部分も認められる。これは、田中氏が逝去した後、横井時敬、古在由直らによって製本され、農科大学図書館に寄贈されて学生の教科書として利用されたものの1つである。横井ら8名は発起人となって、「生等同志相諮り広く醵金を募り、農書を購入、同君縁故の農科大学に寄贈、田中文庫の名称を以て斯学を修る者の便益に供し、以て同君の意志を永遠に伝え度と存候間何卒御讃同程熱望に不堪候」と追悼募金を行ったという記録がある。この寄贈された田中文庫は、その後作物学研究室に保管され、つい最近まで人目に触れることはなかった。が、近年、本研究室第3代教授戸苅義次博士、第5代教授玖村敦彦博士、第6代教授石井龍一博士の手により分類・整理された。(戸苅義次著『東大農学部作物講座始祖田中節三郎小伝』農業技術52(7) 1997より抜粋)
(農学部附属農場 山岸順子)

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