東京大学農学部創立125周年記念農学部図書館展示企画
農学部図書館所蔵資料から見る「農学教育の流れ」
 
Engelbert Kaempfer
(エンゲルベルト・ケンペル)
1651-1716
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ケンペル『廻国奇観』 1972
標題紙
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ケンペル『廻国奇観』
椿図
 Amoenitatum exoticarum politico-physico-medicarum. Fasc. V., 1712(廻国奇観)
 ケンペルはドイツに生まれ、牧師の父のもとで旅行好きの青年に成長した。ロシアのケーニヒスブルク大学で医学、歴史学、博物学を、その後スウェーデンのウプサラ大学で博物学を学んだ。ウプサラ大学はストックホルムの北66kmに位置し1477年に創設されて、パリ大学と並ぶ北欧最大の大学であり、生物分類学の方法を確立したリンネ(Carl von Linne, 1707-1778)が教鞭をとった大学でもある。ケンペルはオランダの東インド会社の医官となり、1688年からインド、セイロン、ジャワ、マレー半島、タイなど東洋各地をオランダ艦隊に同行して、1690年10月に長崎出島に着いた。それから2年の間、医師としての勤務の傍ら、日本の動植物、歴史、風俗などあらゆる部門に関心を示した。1692年10月に喜望峰を経てオランダに戻った。その後、1694年に日本の動植物に関する論文をオランダのライデン大学に提出して、学位を受けた。
 ケンペルは日本に滞在中に、2度にわたって江戸に参勤し、当時の将軍綱吉と会見している。この時代の日本の歴史や政治について『日本の歴史』(The History of Japan, 1727)を著した。この本は、英語版の他、オランダ語版、フランス語版、ドイツ語版などに翻訳されて広く出版された。
 ケンペルの貢献は、何と言ってもアジア各地の滞在先での見聞をまとめた本書『廻国奇観』(Amoenitatum Exoticarum Politico-physico-medicarum, 1712)を著述したことである。その第5巻は、ほとんど日本の植物のみに費やされていて、324種の植物について記述されている。わが国の江戸時代を代表する優れた本草学者に貝原益軒(1630-1714)がいて『大和本草』(1708)を著している。ケンペルと益軒の記述を比較すると、益軒は興味の中心が植物自体の記述のみではなくその植物をどのようにして人間が利用するかという点にある一方、ケンペルは植物の記述が極めて詳細なものであり、本書に記載の植物の図は大変正確であった。リンネは、後にこれを基にして『植物の種』(Species Plantarum, 1753)に日本の植物を世界に紹介している。
 現在、植物の命名法は、リンネの『植物の種』(1753)を基準としている。ケンペルの著作は1712年でリンネの『植物の種』以前のものであるが、ケンペルの業績は高く評価されている。ケンペル没後、多くの資料は大英博物館の所蔵するところとなり、現在一部は大英博物館から分かれたロンドン自然史博物館に保管されている。ケンペルの名前を記念して種小名として用いられている代表的な樹木の一つにカラマツLarix kaempferiがある。
(森林科学専攻 鈴木和夫)

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