東京大学農学部創立125周年記念農学部図書館展示企画
農学部図書館所蔵資料から見る「農学教育の流れ」
 
綿圃要務二巻
大蔵永常著 天保四年 刊本
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『綿圃要務』生葉の図、花の図、モモ(綿花)の図
 『綿圃(甫)要務(めんぽえうむ)』は、題名の通り綿(ワタ)栽培の手引き書である。綿は加工の過程が多いことから仕事を生み出し国民をにぎわすと、綿栽培を推奨する。上巻では、顕微鏡まで用いて形態を図解した上で、気候適性、品種分類、種子の扱い・播種法、油糟や干鰯など肥料の種類と与え方、綿摘みと、一通りをイラスト付きで解説しており、今日の栽培の教科書に劣らぬ構成である。下巻では、主要産地の畿内・山陽の綿栽培から篤農技術を掘り起こし、加えて品質の判別基準を紹介している。
 著者の大蔵永常(1768-1860)は、豊後国日田郡隈町(現在の大分県日田市)の出身である。その生涯は早川孝太郎による『大蔵永常』(山岡書店 1943)に詳しいが、町家に奉公していた大蔵は、天明の大飢饉に苦しむ農家を目のあたりに見聞し、暮らしの安定には換金作物の普及が重要と感じて農学を志したという。大蔵の著作は『農家益』(1802)から『広益国産考』(1859)まで三十にも及ぶが、『農具便利論』に典型的にみられるように、すぐれて実践的で、農業の心得とあわせて懇切に教え諭すように書かれている。
 このように多くのすぐれた農書をものした大蔵であるが、その農業の実体験のはじめは、実家で祖父が行っていた綿の栽培であったようだ。この祖父は、町家でありながら農業にくわしく、なかんづく綿を作ることに妙を得ていたといい、作物に対してはわが子を育てる心で臨んだと本書冒頭の「惣論」にある。大蔵が力を入れた工芸作物のなかでも、綿はとりわけ思い入れの深いものであったろう。また、本書は天保四年(1833)の刊であるから、奇しくも天明大飢饉とならぶ天保の大飢饉の初期にあたる。
 綿は、ガンジーのインド独立運動や、アメリカ黒人奴隷貿易の歴史にみられるように、政治・経済を大きく動かしうるほどの重要な産品であった。今日わが国の綿生産は稀で、綿花も知らない人が多いが、生活における綿の重要性は今も昔も他国に劣るものではない。機械紡績の発達で輸入原料が主体となるまでは、河内木綿など国内でも盛んに生産されていた。
 16世紀に国内各地で栽培されるようになった綿は、江戸時代にはさらに生産が進み、政策的に贅沢品とされた絹や、染めやすさに難のある麻に代わって、木綿(もめん)が織物の主役となっていく。江戸時代は、流通と貨幣経済が発達し、米中心の農業・経済から、菜種(ナタネ)・綿など、加工・流通を前提とした工芸作物・換金作物をとりいれての体質転換が各地の統治者側からも、生産・消費の現場からも求められた時代でもあった。とはいえ、農家にとって新しい作物の導入は、今も昔も暮らしを質にしての冒険である。とくに長年馴染んだ稲作から工芸作物への転換は、大蔵も指摘したように、技術を習得して生産の実を上げるのに年数を要する。工芸・換金作物をとりあげた実践的な解説書としての大蔵の農書が果たした役割の大きさは想像に難くない。
 本書の内容をご覧になりたい方には、『日本農書全集 第15巻』(農山漁村文化協会 1977)に『除蝗録』『農具便利論』とともに収録され、岡光夫氏による現代語訳とすぐれた解題が付されている。また、『大分歴史事典』(http://www.e-obs.com/heo/frtop50.htm) というWebサイトのなかに、大蔵永常について分かりやすくまとめた紹介 (http://www.e-obs.com/heo/heodata/n99.htm) がある。なお、綿の和名は片仮名の「ワタ」であり、植物体をさす漢字には「棉」があるが、この解題では綿で統一した。
(生産・環境生物学専攻 阿部 淳)

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