国牛十図
藤原貞幹序 安永七(1778)年 写本
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『国牛十図』 |
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『国牛十図』御厨牛 |
この国牛十図は鎌倉末期に成った国産の牛の図説である。筆名・河東牧童寧直麿によって書かれ、後年、江戸時代中期の考古学者・藤貞幹の蔵書(左京藤原貞幹蔵書の印)となった。この書は国学者・塙保己一が編集した群書類従の28輯(巻)に所収されていることから、その底本になっていると考えられる。
藤貞幹の蔵書ではあるが、「遊戯三味院」の印も見られることから、他者の蔵書であったか、または藤貞幹から他者に手渡った書である。
藤貞幹の序文に牛図は十図あるべし、しかし今所存しているものは9つで、1つを逸してしまった可能性もあるが、他日全本を得ようとする意志が伺える。
牛の説明の前に、鎌倉末期の筆者の序文があり、大意は以下の通りである。
馬は関東、牛は西国というのは陰陽の精霊の働き方による。馬の賢さにくらべ牛は若干劣るところがあるが、貴族から庶民まで役に立つもので、五畿七道(全国)から京洛(都)へ集められる。その牛の肉付や骨格からわかる産出の国はわずかに10カ国であるので、見分けるためにその形躰を記して十図と名付ける。誤りがあって、後世批判されるのは覚悟のうえである。
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筑紫牛は姿良く、本来は壱岐島の産である。元寇の際に元軍のいけにえ(食用)とされたために、一時少なくなったが近年また多くなってきた。
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御厨牛は肥前国御厨の産で逞しい牛である。もともと貢牛であった所からの呼称で、中古の名牛の産地であった。西園寺公経から朝絵の印を許可されたという。
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淡路牛は小柄ではあるが力が強く、逸物も少なくない。近年、西園寺公経から御厨牛と同等の評価を得た。
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但馬牛は腰や背ともども丸々として頑健であり、駿牛が多い。
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丹波牛は但馬牛とよく似ており、近年逸物が多い。
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大和牛は大柄であるという特徴がある。ところが、角蹄が弱いという欠点があったが近年は良くなった。
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河内牛はまあまあという所で、駿牛も存在する。
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遠江牛は蓮華王院領の相良牧の産である。その見かけは筑紫牛に見まがう駿牛であるが、ややあばれものである。故今出川入道太政大臣家がこの地に筑紫牛の血統を移入させたものという。
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越前牛も大柄で逸物が多い。
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越後牛は力が強く、まれに逸物がある。この牛の図はない。
このほか出雲、石見、伊賀、伊勢などにもよい牛がいることを伝え聞いてはいるが、その姿形を見定めるまでには至っていない。
(獣医学専攻 今川和彦)
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