農学生命科学図書館の耐震改修工事について

私が農学部に進学した昭和44年(1969年)当時、農学生命科学図書館はロックフェラー財団からの支援により建設されて間もない新しい建物であった。正面玄関から入ると右手に吹き抜けの広い空間があり、その中央には事典や参考図書が低い書棚に収められており、大きなテーブルの真ん中には英語の分厚い辞書がくるくる回る台の上に置かれていた。また、窓際には個人机がずらっと並んでおり、南側の一面のガラス窓から日の光が差し込んで明るい開放的な空間を作っていた。

私は曾田勝美研究科長のもとで平成17年4月から農学生命科学図書館長を務めることになった。図書館の本館は築後40年を経過して、3階の職員の部屋の壁は天井から斜めに大きな亀裂が入っており、素人目にも大丈夫なのか心配に思えた。本館の耐震診断の結果、部分的ではあるが、強度が著しく不足していたため危険な建物と認定されてしまった。なんと、主に1階から2階にかけての吹き抜け部分があるために構造上強度が足りないという。この本館の特徴であり、利用者には心地よかった吹き抜け空間部分が問題だと聞いてなるほどと思った。曾田研究科長は何はともあれ、危険な建物に利用者を入れるわけにはいかないと、直ちに閉鎖を決断された。平成18年9月25日のことである。ここで2つのことを開始しなければならなくなった。一つは、本館の閉鎖に伴う措置、もう一つは耐震改修のための概算要求である。

幸いにして、本館よりかなり小さいが、圃場側に本館より大分後になって建てられた別館があったので、図書館の機能を別館に集中させることになった。そのために利用度の多い雑誌や資料を別館へ移動させた。また、利用者から見たいという要望のあった図書や雑誌は図書館職員が交代でヘルメットをかぶって本館に取りに行くという方式をとることになった。多くの雑誌が電子ジャーナル化されつつあったので、ひと昔前ほど図書館に足しげく通う人も少なくなっていたのが幸いであったが、分野によっては古い一次資料が必須の方も多く、利用者の皆さんには大変不便をおかけすることになった。また、農学生命科学図書館は、一般市民にも開放しており、しかも開架式で利用しやすいことが特徴の一つであったが、本館閉鎖中は学外者の利用はお断りしていた。何人かの学外利用者から早く何とかしてほしいというお手紙を図書館長宛に頂いた。私は、それぞれの方に事情を説明してしばらく待ってほしいとの返事を出した。そういう切実な要望は学生諸君からもいただいた。

耐震改修工事は、部分的な手直しでは済まず、本館全体の改修工事になった。改修工事のための概算要求をしないといけなくなったが、時期が悪く、結局2年後(平成20年度)に予算が認められた。まず、設計の段階で最初に言われて強く印象に残っていることは、建物が「豆腐のように柔らか」で、補強するのは極めて難しいということであった。そのため最初に提案された改修案は、耐震基準を満たすために外壁の窓をまったくなくしてしまうというものであった。つまり、真っ暗な箱のような部屋の中で蛍光灯の明かりだけで過ごすという図書館としては異常な環境にせざるを得ないとのことであった。私を含めて図書館職員の方々は何とか少しでも自然の採光が得られるように強く要望した結果、妥協策としてやっと現在のような細長い窓をつけていただけることになった。しかし、そのために耐震性は最初の目標値に達せず、残念ながら一般の方が避難できる建物の基準を満たさなくなってしまった。この設計段階では本部の施設部および設計事務所といろいろなやり取りがあったが、生物材料科学専攻の稲山正弘教授(当時は准教授)およびその研究室の社会人コースの建築が専門の院生の方々に同席していただき、様々なアドバイスをいただいた。建築にど素人のわれわれにとってこれは大きな精神的および実質的な支援となった。今でも大変感謝している。

室内には補強のために新たにいくつもの壁が配置され、吹き抜け部分の天井には太い梁が何本か通された。柱は炭素繊維を巻きつけて補強された。また、建物の補強は建物外壁の外側ではなく、内側に行うことになったので、外観は改修したことをあまり感じさせなかったが、室内の利用できる面積が狭くなり、集密書庫を増やしても書棚が足りず、利用度の少ない所蔵図書の一部を他の場所へ移さざるを得なくなった。一方、学内措置として、工事面積の2割を共通スペースとして拠出するというルールがあったが、図書館が公共性の高い場所であるという理由で、このルールから除外していただいた。この件では、当時の西郷和彦総合図書館長にも支援していただいた。さて、概算要求で認められた予算の額は大変厳しいものであったが、幸運にもその範囲内で落札した業者があり、実際その業者が施工することになった。工事業者とは毎週のように話し合いを行い、完成までこぎつけた。当初、私の図書館長としての任期は2年であったが、曾田研究科長からは見通しが立つまでは責任を持ってやってほしいと言われ、2期4年務めることになった。

実際に工事が始まる前に、本館のすべての図書および資料をどこかに一時避難しなくてはならず、学内の未利用スペースを図書館職員の方と一緒に探し回ったが、1か所に全部を保管できる場所はほとんど見当たらなかった。学外にも可能性を求めたが、最終的には大部分を附属病院分院の跡地の建物に一時保管していただくことになった。しかし、実際に分院に行ってみると建物は老朽化のために雨漏りしている箇所があり心配したが、やっとのことで安全に保管できるスペースを確保できた。工事は開始後8か月余りで完成した。一時避難していた図書を元に戻して、本館が再開できたのは、私のあとを引き継いでくださった本間正義館長になって(平成21年7月)からであった。改修後の図書館は建物の安定性を増すため、重い本はできるだけ下の階に集中し、3階にはゼミ室やパソコンの部屋などが新たに配置された。ここまでのすべての過程において図書館職員の方々は一致団結してことに当たり、また私を支えてくださった。

3.11の東日本大震災が起こったのは、工事が完了してほぼ2年後のことである。東大の中にはいくつもの図書館があるが、農学生命科学図書館が最も被害が少なかったと聞いて、絶妙のタイミングで耐震改修工事が行われたことを図書館職員の方々とともに喜んだ。もし、改修工事を行っていなかったら、少なくとも本館の一部が崩落していたかもしれないし、それが人身事故につながったかもしれない。

私の図書館長としての4年の任期の間には、外国雑誌の全学共通経費化の問題や人員削減の問題等の重要な問題があったが、やはり何と言っても耐震改修工事が最大の課題であった。私は2年前(平成25年3月)に定年退職したが、その後も時折図書館を利用させていただいている。細い窓を見るたびに当時のことが懐かしく思い出される。


平成27年6月22日

第22代(平成17年4月~21年3月)東京大学農学生命科学図書館長
東京大学名誉教授
長澤 寛道


本館耐震改修工事について