Carl Peter Thunberg
(カール・ペーター・ツンベルグ)
1743-1828
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ツンベルク『Flora Japonica』
1784 標題紙 |
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ツンベルク『Flora Japonica』
Aukuba(アオキ)図 |
Flora Japonica. 1784
ツンベルグはスウェーデンに生まれ、ウプサラ大学に学んだ。当時、ウプサラ大学ではリンネ(Carl
von Linne)が教鞭をとっており、リンネの第一の高弟となった。その後、リンネの業績を継承する植物学者としてウプサラ大学の教授、そして学長を務めた。リンネと同じく医者であり生物学者であるツンベルグは、東インド会社の医官として1775年8月に喜望峰を経由して長崎出島に着いた。1年半の日本滞在後、1776年12月にジャワを経由してオランダに戻った。
ツンベルグは日本に滞在中、長崎付近と江戸への参勤の際の東海道、主に箱根付近の植物採集しかできなかったものの、日本の植物について多くの論文を発表した。なかでも本書『日本植物誌(フロラ・ヤポニカ)』(Flora
Japonica, 1784)は日本の植物についての画期的な著作である。これまでに日本の植物については、ケンペルの『廻国奇観』によって断片的にしか知られていなかったが、本書『日本植物誌』や"Kaempferus
Illustratus I-II, Nova Genera Plantarum 1,3''、そしてツンベルグの資料を基にして記述された"Linnaeus
filius : Species Plantarum Supplementum''や"Martinus Houttuyn : Naturlijke
Historie''にも日本の植物が多数紹介されている。『日本植物誌』では、約812種の日本の植物が記載されて、新属26、新種418が発表された。このことはわが国の植物学上画期的な出来事であり、このツンベルグの功績を記念して種小名として用いられている代表的な樹木の一つにクロマツ
Pinus
thunbergii がある。
江戸時代の本草学者の書物には、わが国の植物がどのようにして名前がつけられたかという考察はないが、ツンベルグは日本人がサンショウ、クコ、クスノキなどをどのように利用しているのかということについて考察を加えている。
現在、ツンベルグの標本はウプサラ大学に保管されている。また、ツンベルグが日本で採集した標本に基づいて描いた300点余りの日本植物の図は、その後ロシアの植物学者マキシモヴィッチ(Carl
Johann Maximowicz, 1827-1891)によってセントペテルブルグにあるロシア科学アカデミー図書館に保存されている。
(森林科学専攻 鈴木和夫)
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